1ヶ月半以上前のことになりますが、1月7日(日)は、妻とポチ(16歳5ヶ月 トイプードル オス)と一緒に埼玉県の川越へ行きました。
昨年末12月24日(日)に熱海あたりでキャッツアイ(道路鋲)を踏んでパンクしてしまって、ディーラーで修理中だったクルマを、まず引き取りに行きました。
ホイールが大丈夫かどうか少し心配だったのですが、ホイールはダメージを受けていなかったようでタイヤ交換だけで済みました。
クルマは、2022年式アウディRS3セダン(GYDNWF)[約6,600キロ]です。今回の走行距離は約100キロです。
午前11時過ぎにディーラーを後にして川越に向かいました。12時過ぎに目的地の、川越市役所の駐車場に到着しました。尚、ここの駐車場は、観光客は休日のみ利用可です。
何とか駐めることが出来ましたが、ほぼ満車でした。
後で思ったのですが、川越駅から本川越駅にかけては、比較的、駐めやすい駐車場が多くあったように思われます。また、川越観光の中心部まで、さほど遠い距離ではないので、このあたりで駐車場を探した方がよいかもしれないと思いました。川越観光の中心部まで車で行くと、道が細かったり観光客がたくさんいたりして気を使う場合があります。
川越観光については下記のサイトが便利かもしれません。
僕たちは、まず【三芳野神社】へ行きました。有名な、わらべうた「通りゃんせ」発祥の地だそうです。
「通りゃんせ」は江戸時代後期ごろを起源に持つ、わらべ唄だそうです。グーグルの生成AIでは次のように説明されています。
童謡「通りゃんせ」は、1921年(大正10年)に上演された児童歌劇のために作られたと言われています。この歌劇のために本居長世が東京で遊ばれていた旋律をもとにしてピアノ伴奏をつけ、レコード化されました。レコード化された歌詞やメロディーが全国に広まり、徐々に土着の「通りゃんせ」が廃れていったとの説が根強いです。
「通りゃんせ」は江戸時代後期ごろを起源にもち、ヨーロッパの「ロンドン橋落ちた」などと同じ「関所遊び」で歌われる素朴なわらべ歌です。江戸期には「天神様の細道」と呼ばれていました。
「通りゃんせ」の発祥は神奈川県小田原市の菅原神社(山角天神社)と埼玉県川越市の三芳野神社が舞台という説があり、共に発祥の地という碑があります。また、関所を舞台とする説(出立は楽だが帰還の際は厳しく調べられるという歌詞)もあります。
「通りゃんせ」について、【三芳野神社】を発祥の地とする場合の、歌詞の内容については、次のようになるようです。
川越市のウェブサイトによりますと、【三芳野神社】は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)、後の城主酒井忠勝によって再建されたそうです。
この天神様は、川越城内にあったため、一般の人の参詣はなかなか難しく、その様子が歌われていると伝えられているそうです。城内の行き来には許可が必要で、特に帰りの参拝客は警護の者によって厳しく調べられたそうです。
下の画像を見ると、当時の一般の人々の参詣は、大変だったかもしれないということがよく分かります。
現在の【川越城跡】【三芳野神社】あたりの地図は下記のようになっています。
【三芳野神社】の近くに【川越城本丸御殿】があります。100円で入館できるようです。
【川越城】東日本に唯一現存する「本丸御殿」とは? その秘密を探る
「通りゃんせ」を改めて聴いてみると、独特の不思議な魅力が感じられる曲だと思いました。この曲がどのように成立したのかについては諸説あるようですが、江戸時代の人々の、日常の生活に密着した雰囲気が伝わってくる曲だと思いました。遠い昔の人たちの思いが積み重なって出来上がった曲だと思います。
【三芳野神社】の次は川越観光の中心部など、いろいろ歩いてみました。
川越は、江戸の風情を残す古い町並みを楽しむことが出来ますが、特に中心部は、たいへん混みあっているので、犬連れで、江戸の風情を残す古い町並みを楽しむ場合は、千葉県の【佐原】の方が適しているかもしれません。
ポチは、高齢なので適度に歩かせて、あとは抱っこやリュック型ドッグキャリーバッグの中でした。
午後5時過ぎに自宅に帰ることにしました。自宅には午後6時20分頃に到着しました。