MINIPOCHI’s diary

60歳の日本株投資、Audi RS3(2022年式 GYDNWF)での日帰り・犬連れドライブ、エネファーム維持費を公開する実体験ブログ。東京在住。妻は50代後半、子供二人は社会人。愛犬ポチ(トイプードル 2007-2025)との旅の記録や、24万キロ走ったBMWミニ(R53)、音楽・オーディオ・時計も綴る雑記帳。

【後悔しない別れ】18歳のポチと80代後半の母を見送って。心の準備と日々の習慣。

 今年の11月、18歳2ヶ月のトイプードルのポチと、80代後半の母を相次いで見送ることとなりました。 悲しいことではありますが、母は概ね天寿を全うしたと思いますし、ポチもよく頑張ったと思います。 僕は後悔なく母とポチを見送ることが出来ました。

 11月19日にポチが亡くなったことについては下記で詳しく記事にしています。

minipochi.hateblo.jp

 ポチの火葬も終わり、やっと落ち着いてきた11月後半のある朝、田舎の父から母が亡くなったとの電話がありました。

 僕は急いで四国の田舎へ飛行機で帰りました。昼頃、実家に到着しました。母と対面しましたが、とても穏やかで、安らかに眠っているようでした。父によると、母は前日寝る前はしゃべっていたようですが、朝起きると静かに息を引き取っていたようです。

 僕は、数日前に田舎へ電話をして母としゃべったのが最後になりました。

 翌日には、妻、息子(20代後半)、娘(20代半ば)も田舎に到着しました。そして、お通夜、告別式を終えました。

母もポチもいない田舎の道。

 親の最期は考えたくもないことですが、ついにその時が訪れることになりました。

 実際に母の最期と向き合って感じたことは、深い悲しみについては、思ったより大丈夫でした。ある程度、心の準備が出来ていたのかもしれません。

 母は2月に胃がんが見つかり3月にバイパス手術をしています。年齢と体力を考慮すると全摘出は負担が大きいということで見送ることにしました。

 いつもは年に1回、夏に帰っていますが、今年はゴールデンウィークにも帰りました。この時、母は、歩くのは苦労していましたが十分に元気で、畑でとれた空豆で煮物も作ってくれました。今にして思えば、この時に、心の準備がだいぶん出来たのかもしれません。「GWの帰省」そして「命の営み」について自分なりに考えてみた記事が下記です。

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 8月にも田舎に帰っていますが、この時も母はそれなりに元気で料理も作ってくれました。でもこの時は、僕、妻、息子、娘が交代で食事の用意をして母に負担がかからないようにしました。ブログの記事にするのが遅れていますが、何とか早く記事にしたいところです。

 母は、9月には1ヶ月ほど入院しましたが、退院して、最後は自宅の畳の上で最期を迎えることになりました。

 1週間に1度くらい、母に電話をしていたのですが、声は元気そうでした。概ね天寿を全う出来たのではないかと思います。数年前にはダイヤモンド婚も達成しました。

 母とポチは、ほぼ時期を同じくして亡くなったので、あの世で一緒に暮らしているのだろうか、と思ったりしました。ふと、遠い昔がよみがえってきました。

 子供たちがまだ小さかった頃、夏に帰省した時、当時はR53 BMW MINI JCWで、四国の色々な場所を、妻や子供たちやポチと一緒にドライブしていたのですが、理由は忘れましたが、ポチは留守番で出かけたことがありました。ポチは母に抱っこされていました。ポチは自分も連れて行けと暴れるのかと思いきや、まるで母が飼っている犬のような佇まいで「行ってらっしゃい」という感じでした。ポチは、そこまですぐに人になつくのか、と思ったことがありますが、今となっては懐かしい思い出です。

 母の思い出はたくさんあります。

 遠い遠い昔の思い出は、どこまで正確なのかは分かりませんが、幼稚園にもあがる前だったと思うのですが、母が世の中で一番きれいだと思っていた時期があります。当時の雑誌広告等のモデルは、すごいつけまつげで、目の周りが黒いアイシャドウが、はやっていたと思いますが、当時の僕としてはそのような人たちは、きれいというより怖かったです。母は普通の人なのですが、「やっぱり、うちの母ちゃんが一番じゃ。」などと思っていたかすかな記憶があります。そのような思いは小学校にあがるころにはなくなっていたと思います。

 これも、幼稚園にもあがる前だったと思うのですが、僕は「たまご」と言おうとしても「たまも」になってしまう時期がありました。母は僕に向かって「た・ま・ご」と繰り返し言うのですが、僕はどうしても「た・ま・も」になってしまい、母と一緒になって笑っていた思い出があります。

 本当に小さな頃の僕にとって、父や母は、なんでも知っているとても偉い人でした。だんだん大きくなるにつれ、そうでもないと思うようになり、思春期の頃は反発していたと思います。

 いつの頃からか、父や母は普通の人なんだと思うようになりました。

 でも僕が30歳前後だったと思いますが、「普通」は意外と、すごいことなのではないのだろうかと思うようになりました。僕が本当に小さかった頃とは別の意味で父や母を尊敬するようになりました。その頃だったと思うのですが「親孝行したいときには親はなし」という、それまであまり気にしたことがなかった諺が、気になるようになりました。

 ちょうど僕が結婚した時期でもあり、その頃からだったと思いますが、父や母の誕生日と、父の日と母の日に贈り物をするようになりました。僕は18歳で上京してから1年に1度は帰省していましたが、結婚してからは妻と一緒に、子供たちが生まれてからは子供たちと一緒に、ポチを飼い始めてからはポチも一緒に、夏に1週間ほど田舎へ帰りました。コロナ禍で4年ほど田舎に帰れないことがありましたが、それ以外は、大体、家族4人とポチで田舎へ帰りました。

 告別式の次の日は、家にある車を僕が運転して、僕と父と妻と娘で【あすたむらんど】へ行きました。息子は仕事の関係で一足先に帰ることになり、高速のバス停まで送っていったのですが、ついでに行ってみようということになりました。【あすたむらんど】はポチを飼い始める前、本当に子供たちが小さい頃に、父や母も一緒に訪れた懐かしい場所です。妻や娘は色々な場所にあちこち行っていましたが、僕と父はベンチに腰掛けて、缶コーヒーを飲みながら、懐かしい思い出をあれこれ話しました。少し寒かったですが、天気は良く、紅葉がきれいでした。

懐かしい場所【あすたむらんど】

紅葉がきれいでした。

 帰りは、【ラッテ】というジェラートの店に寄りました。ここのジェラートはとてもおいしかったです。父も生乳ジェラートをおいしそうに食べていました。「牛乳がいっぱい入っとるやつは、スーパーのとは味が違うのう。」と感想を言っていました。

おいしいジェラートの店【ラッテ】

 悲しくも懐かしい数日間を田舎で過ごした僕たちは、飛行機で東京の自宅へ帰りました。

 田舎で過ごした数日間は、すべてを受け入れてゼロから始めるような、覚和歌子氏が歌う【いつも何度でも】のような心境でした。

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 大切な家族とは、いつかは別れなくてはなりませんが、後悔のない別れだったと思います。